大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎家庭裁判所 昭和38年(家)503号 審判 1966年4月08日

申立人 小松和男(仮名) 外一名

被相続人 亡小松ツヤコ(仮名)

主文

被相続人亡小松ツヤコの別紙目録記載の相続財産のうち

(一)  金五〇万円を申立人小松和男に

(二)  金三〇万円及び長崎市○○○○町六六二番一宅地九八坪〇四、同市同町六六二番二宅地七坪〇五、同市同町六六四番宅地九四坪、同市同町六六五番宅地一〇一坪八三、同市同町五八五番一山林一畝一〇を申立人田村ミサコにそれぞれ与える。

理由

一、(申立の要旨)

被相続人小松ツヤコは、昭和三五年一一月四日長崎市○○○○町の本籍地で死亡したが、相続人のあることが明

らかでなかつたので、昭和三六年六月六日弁護士黒沢八郎、同三宅西男が相続財産管理人に選任され、次いで昭和三七年三月一日相続人捜索の公告において相続人の権利の主張の最終期限を昭和三八年三月一五日午前一〇時と指定されたが、右期限までに右権利を主張するものはなかつた。ところで、申立人のうち小松和男は、被相続人小松ツヤコの父亡小松吉男の弟小松寅男の長男であり、また田村ミサコは、右被相続人の父小松吉男の妹である。申立人らは右被相続人と血縁関係にあるばかりでなく、申立外松本俊男と三人相談のうえ、被相続人とその実母小松フユが共に精神病のため財産管理能力を完全に失つた昭和三三年一一月以来地代等の取集め、税金の代納等の財産の管理をしたほか、右被相続人ら親子が死亡するまで(母親フユは、昭和三五年一一月三日午前一〇時死亡、被相続人は、その翌朝井戸に投身死亡)絶えず右親子の挙動に注意し、精神病院に入院させたり、食料を買い与える等の世話をなし両名の死亡に際しては葬式をなし、その後、位碑の保管、初盆の祭事、墓守までなしている実情にあり、申立人らは被相続人の特別縁故者というべきであるから、右被相続人の相続財産の全部または一部を申立人らに分与する旨の審判を求める、というものである。

二、(当裁判所の判断)

(一)  当庁昭和三五年(家)第一〇九二号、同第一一七五号事件記録によると、右申立の要旨に記載のように、被相続人小松ツヤコが昭和三五年一一月四日本籍地で死亡しその相続人不分明のため、黒沢、三宅両弁護士が相続財産管理人に選任され、次いで相続人捜索等の民法所定の手続がなされたが、定められた期間内に権利を主張するものがなかつたこと、昭和四〇年一〇月一八日当時において、別紙財産目録記載のような相続財産が現存することが認められる。

(二)  次に、小松吉男、同フユの除籍の各謄本、小松和男の戸籍の抄本、田村市男の戸籍の謄本、当裁判所調査官須堯英、同平野英二の各調査報告書、申立人小松和男、田村ミサコに対する審問の結果、小松和男、田村ミサコ、松本俊男、川上一男の各証人調書写によると、申立人らと被相続人とは、前掲申立の要旨に記載のような親戚関係にあつて、従来から申立人ら方と本家筋にあつた被相続人方とは親しく行き来し、この関係は、昭和一八年に被相続人の父小松吉男が死亡した後も前同様続けられてきたものであること、しかし、申立人らが、昭和二七、八年頃被相続人の母小松フユ(右吉男の妻)のところに右吉男の父小松八郎(申立人ミサコの父、同和男の祖父)が生前三男良三に財産分けをしながら登記未了のまま死亡していたことを告げ、右良三死亡後の妻久子のために、右登記をするように懇請したところ、フユからすげなく拒絶されたことから、被相続人方との交際が疎遠になつたこと、しかし昭和三二年一〇月頃被相続人と右母フユがともに精神に異常を呈するようになり、他人に七〇〇坪近くの土地を無償で贈与した話が近隣のうわさになり、また耕作物の収護も放置してしなかつたり、昭和三三年一一月頃には被相続人ら親子が多数の貸地の賃料を賃借人から全く受け取らず、無償で貸すなど言い出し、そのため賃借人らが困り果ていることを聞き知るに及んで、申立外松本俊男と相談のうえ、被相続人方に近い申立人小松和男が土地賃貸料を集金し、右フユのところに持参することになつたが、右フユが被相続人と共に家を閉め切つてとじこもり、人を中に入れないため、右申立人が賃料の保管をすることになつたこと、その後被相続人親子の異常性は増大し、家財道具は鍋釜に至るまで屋外に放げ出し、或いは夜具、衣類等を屋外で焼き捨て、はては被目板を焦したりしたため申立人らは右松本俊男と協議し、種々手を尽したあげく、昭和三五年二月頃被相続人ら親子を長崎市内の精神病院に入院(精神分裂病の疑いの診断)せしめたこと、しかし、入院以来被相続人らが食事を拒んだため、右病院から退院を命ぜられ、二〇日足らずで連れ戻つたこと、その後も被相続人らは、麦、煮干魚、醤油、少量の野菜のほか食せず、またこれらの食物は、申立人らが提供しても受け取らず、特定の食料品店以外のものは受け入れないため、申立人らにおいて右食料品店に差入れを依頼し、その代金は、保管中の賃料から支出していたこと、そのような方法で右被相続人親子を看視し続けていたところ、同年一一月五日夜たまたま申立人小松良男が被相続人宅に様子見に行つた際、右フユが栄養失調で死亡しており、続いて捜索の結果、被相続人も右フユの死亡後自宅の井戸に投身自殺していたことが判明したこと、そこで申立人らは、松本俊男と共に親戚えの通知、葬儀等諸事万端の世話をし、親戚との話し合いで、申立人田村ミサコが被相続人ら親子の位碑を保管し、初盆等の祭事を行い。また被相続人の死亡によつて絶えた祖先伝来の墓所の管理祭事を続けていること、また申立人小松和男は、本件相続財産管理人が選任された相続財産の管理に着手するまでの間、右土地賃料の取立て保管をなして来たことが認められる。

以上の事実によつて考えると、申立人らは、被相続人と特別縁故者の関係にあるものと認められ、申立人らに対して相当程度の相続財産の分与を認めるのが相当である。もつとも、申立人らが、被相続人ら親子のためになした以上の世話も、生前の被相続人親子には必ずしも心よく受け入れらなかつたことを前掲資料によつて窺われるところであるが、これは被相続人ら精神異常者にあり勝ちな自閉症ないし拒絶症状のあらわれと見ることができ、いわゆる被相続人の生前の意思の推測をするについて、右のような事情を、常人の場合と同様に、本件において考慮することは相当でないと考える。

(三)  そこで、相続財産の分与の程度について考えると、申立人小松和男は、大正一一年一月生まれで昭和一五年以来○○製鋼所機械課所属の工員をして稼働中であつて、現住所に木造瓦葺平家建一棟(二〇坪)と宅地七〇〇坪から八〇〇坪位、畑約四畝の相当の不動産を有し妻、子(四名)と共に中流程度の生活を営んでいること、並びに前記のような被相続人との親族関係及び特別縁故関係それに本件相続財産の数量に照らして、右申立人に対しては、被相続人の別紙相続財産から金五〇万円を与えるのが相当である。また申立人田村ミサコは、明治四一年二月生まれ生後一〇〇日後に前記父小松八郎が事故死したため、長兄であつた被相続人の父吉男から親代りとなつて養育を受けたものであること、夫とは昭和三七年死別し、四人の子はようやく各自独立できる状態になつたが、資産は余りなく、現住所に木造瓦葺平家建住宅一棟(一八坪位)、宅地三〇坪がある位で、生活は、右住宅で煙草小売店を営み、一部を倉庫として他に賃貸し、その賃料と煙草販売収入によつて生計費を得ていること、並びに前記のように被相続人ら親子の位碑のほか祖先伝来の墓所を管理し、祭事をしていること、その他前認定の被相続人との親族関係及び特別縁故関係、また被相続人ら親子の墓所の建設資金、これからの右墓所の管理のための各出費等をも考慮して、右申立人に対しては、右相続財産から金三〇万円と長崎市○○○○町六六二番一宅地九八坪二五、同市同町六六二番二宅地七坪〇五、同市同町六六四番宅地九四坪、同市同町六六五番宅地一〇一坪八三、同市同町五八五番一山林一畝一〇(以上の各土地につき、現在一部係争中の同市同町六六三番宅地一一九坪二五と共に土地区画整理のため仮換地同市○○○○地区七六街画三号三二九坪六一の指定中、従つて右各土地面積は約四分の一を減歩されることになる。)を与えるのが相当である。

よつて本件申立を相当と認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 萩尾孝至)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例